第7章 現生人類――なぜ繁栄することができたのか
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約20万年前、より華奢なホミニンがアフリカに出現した
やや断片的な化石証拠によれば、この新種はアフリカの旧人に急速に取って代わった 旧人は10万年前にはアフリカではその姿を消したが、一体彼らに何が起きたのかはわかっていない
遅くとも7万年前までには、このアフリカ生まれの新たな人類種(現生人類)はアフリカとユーラシアをつなぐレヴァント地方をわたり始め、さまざまな時期に紅海の南北海岸沿いにぞくぞくと東に向かった 7万年前に起きたこのアフリカからの移動は、現在では「出アフリカ」として知られる レヴァント地方を北側のルートで移動した現生人類の集団が、ネアンデルタール人と遭遇したのは間違いない 実際、現生人類が当初アフリカからの北側ルートを取れなかったのは、ネアンデルタール人がそこにいたのが理由かもしれない
それはアフリカのハイデルベルク人ではあるけれども、最近の証拠によれば、ネアンデルタール人やデニソワ人の期限と考えられているアフリカ北部のハイデルベルク人ではなく、アフリカ南西部(東経12度・南緯16度あたり)のハイデルベルク人だったようだ
つまり、解剖学的現生人類とユーラシアの旧人との最後の共通祖先ということになる
この新種は骨格が著しく華奢で、脳の大きさが際立って増大していた
ただし、これは二段階に分かれた過程だったという説もあり、これによるとまず骨格が約20万年前に華奢になり、その後10万年前くらいに脳の増大が起きた
人類の脳の増大はネアンデルタール人のいた時期と重なっているが、前章で見てきたように、現生人類では前頭葉と側頭葉が大きくなったのに対して、ネアンデルタール人では視覚系と後頭葉が大きくなった この結果、現生人類は社会的認知能力が大幅に増加し、維持できる共同体の規模は劇的に36%増加した しかし、脳の大きさがなぜ突然にこれほど変化したのはまったくわかっていない 繰り返しになるが、約10万年前に突如として脳が大きくなったのは、アフリカ東部の大地溝帯一帯にある湖群に起きた変化と時を同じくしている この場合、脳が増大した時期は、湖が干上がり、初期人類がより住みやすい場所を求めて湖の連なる大地溝帯を北上せざるをえなかった時期と一致しているようなのだ 食物を探す能力の向上や、より大きなネットワークの維持に、さらに大きな脳が必要だったか否かは未解決の問題
解剖学的現生人類の出現により、2つの重要な結果が生じた
まず、この新種は地球上の生息可能な地域全体にまたたく間に広がっていった
4万年前までには(最初の出アフリカから3万年しか経っていない)、現生人類はオーストラリアに定着し、遅くとも1万6000年前までには、最初に到達した最北端のアラスカから南アメリカの最南端にいたるまで、アメリカ超大陸全体に足跡を残した
現生人類が南北両アメリカ大陸に住み着いたペースはほとんど奇跡に近い
これが運搬動物の家畜化が進む前に、徒歩で行われたことを考えるとなおさらその感がある
功罪はさておき、この過程で彼らはアメリカの大型動物すべてを絶滅に追いやった
二番目の結果は、約4万年前に現生人類がヨーロッパに到達したのが、ネアンデルタール人のその後の消滅とほぼ時を同じくしている点
後世のあらゆる侵略者のように、現生人類がロシアのステップ地帯からヨーロッパに現れるまでの20万年近く、ネアンデルタール人はヨーロッパと西アジアで繁栄を極めていた
ところが、現生人類がやってきて1万年と経たないうちに、ネアンデルタール人は絶滅した
アフリカからの侵略者に殺されたのだろうか?
それとも、最終氷期という変則事態にうまく対処できなかったのはただ運が悪かっただけなのだろうか? 急激な人口爆発
この20年で、分子遺伝学は人類史研究に素晴らしい新たな道具をもたらした 現代人のDNAの詳細な分子構造を比較することで、人類が過去にどう移動したかをかなり詳しく再現できるようになった おそらく、最も驚くべき発見は、現代のヨーロッパ人、アジア人、太平洋の島々に住む人々、オーストラリア先住民、アメリカ先住民はすべて、アフリカ人との平均的な近縁性より、相互の近縁性の方が高いということ これらのことは、これらの現代人がすべてアフリカの単一の小集団の子孫であることを示している
約7万年前の出アフリカがはじめて注目を浴びたのは、アフリカ人以外の人種の遺伝子変異が7~10万年前に合着するという証拠が得られたからだった
mtDNAを受け継ぐのは母系のみ
父親から男性のみが引き継ぐY染色体もきわめて似通ったパターンだが、その収束年代ははるかに浅く(6万年前ほど)、このことは複婚(一夫多妻制)の影響(単婚が規範となっている場合に比べて、並外れて少数の男性のみが子をつくる)を繁栄している 四種類のmtDNAはハプロタイプL0、L1、L2、L3として知られ、いずれも独自の子亜型をもつ L0
彼らは舌で出すさまざまな吸着音を子音で使う言語を話す。これらの言語はきわめて古くからあったと考えられている。吸着音は子孫にあたる言語すべてから失われた。 L1
アフリカ西部と中部(とりわけピグミーと関連付けられる) L2
アフリカ西部と東南部
L3
最近の系統で、とくにバントゥー系民族(起源はアフリカ東部だが、アフリカ西部への大規模な核酸を経て、さらにずっと時代が下った3000年前ごろからアフリカ南部に大規模に拡散した)と、アフリカ北部とアラビア半島のセム系および非セム系の人々(ちなみにユダヤ人を含む)と関連付けられる アフリカ以外で見られる二種のmtDNA(MとN、あらゆるヨーロッパ人、アジア人、オーストラリア人、北米先住民族が属する)はハプロタイプL3の特定の子亜型を起源にもち、この子亜型は歴史的にアフリカ東部に見られた 遺伝学データによれば、三種の古いハプロタイプL0, L1, L2は、子の15万年間ゆっくり着実に拡散してきた
これに対して、アフリカ東部に新たな突然変異として出現して(およそ9万年前)からさほど経っていない約7万年前より、ハプロタイプL3は劇的で持続的な人口爆発を起こした 人口爆発した証拠が残されているもう一つのハプロタイプはL2だが、このハプロタイプが人口爆発を起こしたのは約2万年前
L3系統の人口爆発が「出アフリカ」以前だったか、以降だったかについては検討の余地がある
出アフリカ以前
人々が住む場所を求めて移動する原因となった
出アフリカ以後
アジアに住む場所を求めてアフリカを出たときに生態学的制限条件から解放されて起きた適応放散だった どちらが先に起きたのかを確かめるためには、これらのできごとの起きた年代がまだ正確さにとぼしすぎる
いずれにしても、L3系統の急速な人口爆発が、現生人類がはじめてアフリカを出た時期と前後していて、密接なつながりがあるのは明らか
焚き火を囲む会話と物語
解剖学的現生人類は、ネアンデルタール人と脳の大きさが同程度だった
ところが、ネアンデルタール人と違って、解剖学的現生人類は余分な社交時間要素があった
社会脳仮説の考えによれば、彼らの共同体規模は旧人より3分の1ほど大きかったからだ これだけでも、解剖学的現代人は社交時間を12ポイント余計に捻出しなければならず、彼らの時間収支は1日あたり150%という不可能な数字になった 一つの可能性として、現生人類はさらに料理(つまり肉類)の量を増やし、必要になった余分な社交時間を工面したことが考えられる 摂食時間を減らして余分な12ポイントを稼ぐため、現生人類は料理で18ポイント(ネアンデルタール人が既に料理していた42.5%に加えて食物の20%)を追加で料理する必要があったろう
料理によって消化が50%良くなったと仮定すると、12ポイントの摂食は摂食時間にして$ 12 \times 1.5 = 18%となる。脳と体の大きさから、現生人類は1日の活動時間のうち88.5%を摂食に費やさねばならないと予測できるので、18%は総摂食時間(あるいは食物としても同等になるが、これは摂食時間がおおよそ食物の割合に匹敵すると仮定した場合)の$ 18/88.5 = 20%になる
換言すれば、食物の約$ 42.5 + 20 = 62.5%を肉と塊茎にしなければならない 現生人類が食物の料理によって得ている節約時間が45%であることを考えるなら、この数字は信じがたいほど高い
現存する狩猟採集民の食事に占める肉類の割合は緯度に関わりなくほぼ一定で、たいてい全体の35~50%にすぎない 肉類をたくさん食べる現生人類はきわめて高緯度地帯(60度以上)に済む人々で、しかも多くは魚類 寿司を食べたことのある人なら知っていようが、魚は生で食べても消化にいい 現生人類はおそらくそれほどの高緯度には約1万年前まで到達しなかったと考えられ、この時点ではすでに大きな脳を進化させて久しかった
現生人類は動物を狩ってその肉を食べる純粋な肉食動物ではないので、この選択肢はあまりありそうにない
現生人類が食物をどんどん料理することによって時間を節約しなかったのなら、一体どうしたのだろう
前章の最後で、同時に絆を深める人の範囲を増やす手段として、旧人が一箇所に集まって歌ったり踊ったりした可能性を挙げた
この手段によって初期ホモ属ではおよそ75人だった絆で結ばれた範囲を、旧人がおよそ100人に増やしたのではないかと指摘した 音楽は踊りはたしかに局所的な共同体(バンド・野営集団)の結束を固めるには有効だし、笑いのつながりを深める効果を補強するよう進化したかもしれないが、言語(少なくとも、集いの取り決めができるほど複雑な言語)がないのに、大勢で踊ることが効果的だったとも思えない 言語によって大勢で定期的に踊ることが可能になれば、現生人類の150人というきわめて大きな共同体のための付加的な時間需要は、1日の約1%に減ったかもしれない これは密接な協力関係にある相手に対して時間を費やす必要性が、残りの共同体から受けるストレスに比例するから
集団で踊ることによって共同体内の疎遠な相手に対する投資時間は減らせるかもしれないが、ごく親しい相手からいざというときに手を差し伸べ助けてもらうための投資時間を減らしてくれるとは限らない
互いの結束を固めるメカニズムとして言語は毛づくろいより大きな利点をもつが、それは言語がより効率のよいコミュニケーションを可能にするから その効率の高さゆえに言語は
一度に何人かの人に対処できる
会話集団サイズの限界は4だが、言語は明らかに大人数に講義する目的などに使える
しかし、これは聴衆が文化的な規則を守り、講師の邪魔をしない場合に「限られる」
もちろんこれらの文化的な規則に同意するのに言語が必要であるのは言うまでもない
他の活動と同時に行える
毛づくろいではできない
社会ネットワークの状態に関する情報を得られる
サルや類人猿のように、そうした情報が個人的な観察に依存しては成し得ない規模で得られる 自己利益を増やせる
自分の良い性質を知らしめたり、他の人をけなしたりして
これはいずれも言語の効果的な用法で、かなりの時間節約につながるかもしれない
同時にそれは、言語から生まれた性質かもしれない
つまり、「なにか別の理由でいったん言語を手にしたら」、言語の新たな面を利用できる
より重要なのは、会話そのものは、少なくともわかっているかぎりにおいて、絆づくりに欠かせないエンドルフィン分泌を起こさない だが、人類進化の議論でほぼ完全に見逃されている別の可能性がある
つまり、言語と火を組み合わせたらどうなるかという問いだ 考古学の文献に見られる一般的な議論では、火の重要性として2つの機能(料理と暖かさ)しか扱わない
火が料理の進化にとって不可欠だったのは紛れもない事実であり、エルガステル/エレクトス系統がいた時代の少なくとも一時期には、いくらか途切れているとはいえ長きに渡って火はこの目的に使われ、ハイデルベルク人の時代には(とりわけ40万年前以降)火はより集中して使用されたという歴史がある また火は高緯度地帯での困難な生活を快適にするのに有益だっただろう
とりわけ、熱帯地方より夜間の気温がかなり低い冬にはそうだったはずだ
40万年前以降に火をよりうまく支配するようになったために、氷床が前進し気温が急激に下がっても、旧人や現生人類がヨーロッパや西アジアで行く抜くことが可能になったのは間違いない
だが火にはもう一つの利点がある
それは1日のうちの活動時間を伸ばす人工的な灯りになってくれること
冬期の日長時間が8時間と短くなる高緯度地帯では、灯りとしての火が重要であるのは明らかだ
しかし、熱帯地方においても、普通12時間の活動時間をあと少し延ばせるなら、時間収支にかかる圧力を減らすという意味で大きな利点となっただろう
あらゆる霊長類は他の哺乳類に比べて夜間視力が弱いので、あたりが暗くなればただ寝るしかない そうすれば、少なくとも夜行性の捕食者からは身を隠せる
ところが、火を使うことで座って行う活動(道具を作ったり、より重要な社交に興じたりする)のための余分な時間が得られれば、日中の時間を食物探しなど移動を要する時間に当てられる
現生人類はおよそ8時間眠る
これを最小限度の就寝時間と考えると、焚き火のまわりで他の活動に4時間あてられる
12時間の活動時間に4時間足すと、ホミニンは実質的に100%ではなく133%の時間収支を合わせればいいことになる
これで、現生人類の予測時間収支の超過分をあらかた吸収できる上に、ネアンデルタール人ほど食物を料理する必要もなくなる
図5-4でわかるように、現生人類の時間収支(不経済組織効果について調整済み)には約45%の超過分がある $ 145-133 = 12ポイントをどこかで稼げばいいだけ
というより、それは解剖学的現生人類の総社交時間需要(図5-3Aの推定では35%)をほぼ吸収してくれる
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図7-2 火の使用による活動時間の延長が、人類3種の総時間収支に与えた影響
グラフの記号は6-3と同じで、活動時間延長された結果は、旧人、ネアンデルタール人、解剖学的現生人類のみについて(▲)で示す
こう考えてくると、解剖学的現生人類は言語がなくても絆作りの問題を解決できたかに思える
ところが、ここで考慮すべき点は2つ
夜の時間をすべて実際に社交に費やせるか否か
霊長類が古くから行ってきた一対一の毛づくろいがより大きな共同体をまとめるのに適しているか否か
他の活動(おもに料理、とりわけ摂食)も夜にしなければならない
こうした活動は大勢でしたほうが効率がいいため
私達は食べながら話すことはできるが、この時間共有は時間を二倍に使う完璧な事例ではなさそうだ
さらに重要なことに、活発な社交の時間にすべての個体がそれに励んでいるわけでもない
たとえば、ゲラダヒヒは毎朝食物を探しに行く前にまずはっきりそれとわかる社交時間をもち、それは数時間続くこともある だが私達のデータによれば、こうした朝の社交時間内のある時点で(毛づくろいする側か、される側として)活発に社交している個体は全体のたった40%にすぎず、残りはただぼんやりしていたり、休んでいたり、うつらうつらしていたり、なかには口いっぱいに食物を頬張っていたりする
つまり、毛づくろいの相手を待っている
この割合を焚き火を囲む現生人類にあてはめると、夜の社交時間収支から約14ポイント差し引けるが、残り(21ポイント)を日中の活動収支からひねり出すか、言語と音楽で社交時間を短縮しなければならない もちろん、以上はすべての会話が二者間の社交(毛づくろい)ほど親密であることを想定しており、日常経験に照らせばそうでないことはわかる
とはいえ、ひとまず、焚き火を囲んだ会話が二個体の毛づくろいほど親密だと仮定すると、重要な問題は会話する人数がどれほど大きくなるかにある
会話集団について私達が得たデータによれば、人同士の会話集団の規模は4人が限界であることを一貫して示している
平均では会話集団の規模は3人に近い
言語が毛づくろいほど社会的つながりを固めるのに効果的なら、会話は「毛づくろいされる側」がはたらきかける人数に換算して、毛づくろいの2, 3倍の効率をもつ
毛づくろいの効果がおよそぶ範囲を2倍にすると、解剖学的現生人類は社交にあてられる時間を2倍の28%に増やすことができ、日中に残る不足分はわずか7ポイントに減る
この解決策の利点は、摂食時間を節約するために旧人以上に料理を多用しなくて済むこと こうした活動はいずれも夜に行われたと考えていいだろう
実際に、伝統的社会では踊りはほぼ普遍的に夜間の活動だった
私達人類にしても、昼間にダンスしても夜ほどの興趣は得られないだろう
夜になにか心理的に特別なものがあるようだ
だが、踊りは私達が毎日行うというものでもない
そのやや弱い親密度という性質ゆえに、踊りは社会ネットワークの外側の層のより疎遠な関係にふさわしいのかもしれない
霊長類は集団規模が大きくなるにつれて中心と成る親密な関係を補強するという明確なパターンをもつので(第2章 なにが霊長類の社会の絆を支えたか)、これらの親密な関係に毎日時間を注ぐために何らかの活動が必要であるように思われる 伝統的社会における社会的毛づくろいのように、夜になって焚き火を囲んで昔ながらの毛づくろいに励んだり、噂話に花を咲かせたり、笑ったり、より親密な社交活動に浸ったりするのはやはり重要なのかもしれない 薄闇の中で焚き火を囲むときには、視覚的に伝えられる情報はかなり限られるので、そうした状況を最大限に利用するには音声に利点があるのは明らか
音声が重要な役割を果たすには、他人の行動を観察する以上のことがなければならない
つまり、この時点で言語に大きな淘汰圧がかかっているかに思われる
視覚情報があまりないような文脈でも、言葉が少なからぬ情報を交換することを可能にしたのだろう
この文脈において、言語には絆作りに潜在的な利点となる2つの側面がある
言語は冗談を飛ばして笑いを生むのに使うことができる 笑いは基本的に特定のできごとに反応して一斉に起きる
ところがその手の出来事がいつ起きるかは予測不能で、完全に視覚に依存するため、起きるのはほぼ日中に限られる 反面、言葉は冗談によって笑いの頻度と文脈を変えることができるので、結果的に笑いを支配するとともに、その頻度と効果を大幅に増やすことができる
物語が重要であるのは、拡張された共同体の結束強化に直接かかわる2つの理由のため
物語は社会の歴史を構築し、共通した歴史によって結ばれた共同体がどのようにして形成されるにいたったかを明確にできる
物語では目に見えない世界(作り話や精霊の世界)について話すことができるので、作り話と宗教が成立する この二点については、次章でもっと詳しく述べる
さしあたって、言語がいつ進化したかに注目しようと思う
言語が進化したとされている年代が人類の進化そのものに迫るほど広範囲におよぶ
5万年前だという考古学者もいる
ヨーロッパの後期旧石器時代と同時期で、このころに小型の道具や芸術作品、洞窟画や彫像などが急激に増えた時期 いずれの主張も言語の象徴的側面に焦点を当てている点に注目
私の考えでは、言語のこうした高度な使用はより後代に始まり、人付き合いや物語をする際などの日常的な言語の社会的使用から派生した
私の仮説になんらかの裏づけを与えるには、言語の発生は、解剖学的現生人類の最初の出現期かその直前でなければならない
もし言語が極めて古い(たとえば、初期ホモ属までさかのぼる)という証拠があるなら、私のこの見解は成立しない
同様に、きわめて遅い(わずか5万年前にさかのぼるのみ)なら、解剖学的現生人類の社会的つながりの危機を解決してはくれない
言語の起源
言語がいつ進化したかを探るのは常に困難だった
考古学者が注目する証拠
神や先祖など象徴的な構成概念について話せないなら、言語を持つ意味合いがないというもっともな理由に基づく 現生人類では、言語機能は脳の左半球に局在していて、左半球が右半球より大きい
ただし、このことが言語機能とどうかかわるのかはまったく別の問題だ
いずれにしても、古人類学者は脳機能の局在化を示す証拠は言語の使用を示す証拠であると考え、脳機能局在の痕跡を求めて化石頭骨の内側を死物狂いで調べてきた
実際、象徴性あるいは脳機能局在に基づく主張はどれも問題をはらんでいる
象徴性を示す明白な考古学的証拠が見つかるのはようやく後期旧石器時代(たいてい3万年前以降)になってから おもに洞窟画や小彫像が実際の人物や概念を表象したり「表したりしている」 そうした証拠は最新の年代を教えてくれるのみ
象徴になんらかの物的な実体を与えることを思いつくはるか前から、人々は象徴性に満ちた会話を交わしていたかもしれない
一方で、脳機能が分化したのは、ものを投げる腕などの制御と関係があるかもしれない
考古学的記録によれば、そうでなかったことはない
実際、脳機能の分化はもっと昔により広範囲に起きたのかもしれず、脊椎動物の出現後まもなく進化したものの、ただホミニンの段階で強調されただけかもしれない 言語にかかわる遺伝子を同定できれば、進化遺伝学の高度な統計を用い、これらの特定の変異がはじめて起きた年代を推定できるかもしれない 現代人の言語的および文法的な機能障害にかかわる変異対立遺伝子
類人猿では大きな顎の筋肉と関連するが、現生人類では顎の筋肉が小さいので機能を喪失している 当初の推定では、Foxp2遺伝子は約6万年前に起源を有するとされた
この年代は後期旧石器時代に象徴的な芸術がはじめて出現したことを示す証拠に先立っている
ところが後日、Foxp2遺伝子がネアンデルタール人のゲノムに発見され、この種が言語を持っていたという証拠と解釈された
だとすれば、Foxp2遺伝子の起源は、ネアンデルタール人と解剖学的現生人類の遺伝子系統が袂をわかった少なくとも約80万年前に遡ることになる
もちろん、このことは旧人と現生人類すべての種(そして多分後期のエレクトス個体群)が言語を持っていたことを暗示する
しかし、同様の遺伝子は鳥類にも発見されていることから、その実際の機能は言語そのものより発声の制御にかかわるのかもしれない 別の言い方をすれば、Foxp2遺伝子は発話(あるいは歌)にかかわってはいても、言語にはかかわっていないのではあるまいか ヒトのミオシン遺伝子は240万年前にさかのぼると推定されるので、最初期のホモ属またはその直前の後期アウストラロピテクスですら言語を持っていたという主張が成り立つ しかし真の問題はミオシン遺伝子が実際に何を教えてくれるか
実際問題として、ミオシン遺伝子に言語となんらかの関連があると考えるのは難しい
小さな顎の筋肉が言語(さらに笑いにも)に必要であることは考えられるが、それだけでは十分ではない
そうした筋肉の変化は食性の変化にかかわっている可能性の方がよほど高い
食性の変化が起きたのがこの時期だったことは立証できる
つまり、仮に言語に小さな顎の筋肉が必要だとしても、それはかなり後代になって、言語が進化する素地となった多くの条件の一つに過ぎないという可能性が高い
言語マーカーではなく言語に不可欠な前駆体
アイエロ(1996)は、これにはうんざりするほど多様な変化が必要であることを指摘した とはいえ、言語の起源を推定するのに用いることのできるアプローチが3つある
現生人類がサルや類人猿と体と比して相対的な大きさがかなり増えた、おそらく発話と関連する2種類の神経解剖学的証拠 横隔膜を制御して発話に必要となる長く安定した呼気の制御
調音空間の支配を可能にする
化石記録でこれらの肥大化の時期を特定できれば、少なくとも調音の制御(発話)の起源を知ることはできるかもしれない 反論の根拠はアウストラロピテクスの「一部」の個体の舌下神経管の大きさが、現生人類の「一部」のそれを上回っているので、特定のアウストラロピテクスが言語を持っていたことを暗示するというもの(DaGusta et al., 1999) この主張にはいくつかの点で問題がある
彼らの主張は分散と平均を混同しているが、種の能力を決めるのは平均である
発声制御能力をもつ1個体がいるだけで言語共同体があることにはならないし、言語はつまるところ社会的現象「である」(2個体以上が必要)
胸神経、舌骨、および三半規管のデータはいずれも基本的には現生人類がサルや類人猿とは異なるということを一貫して示しているので、これらのデータの信頼度は高いという点を看過している さらに2つの解剖学的証拠が最近見つかった
このやや繊細な骨は喉頭の上部と舌の付け根をつなぐもので、チンパンジーでは喉の高い位置にあるのに対し、ヒトでは低い位置にある このためヒトは、特有の発話(特に母音)の一部を生み出すことができると考えられている
この骨はあまりに小さく繊細なので、化石として残ることはまれだが、イスラエルのケバラ洞窟でネアンデルタール人の舌骨が自然位で見つかって以降、数種の舌骨の位置を確定することができた 耳の奥の頭蓋骨の中に骨でできた殻があり、この中に音を効くための三半規管が収められている
ヒトとチンパンジーの三半規管は重要な点で異なっていて、その違いがヒトの発話を聞き取る能力に影響を及ぼしている
スペイン北部のシマ・デ・ロス・ウエソスで見つかった旧人の化石(約50万年前)が最近になってCTスキャンされ、これらの人類がヒトに似た三半規管を持っていることがわかった これら4つの解剖学的証拠をすべて考慮すれば、少なくとも発話能力はおよそ50万年前に旧人とともに進化したようだ
ホミニンの進化史を通して推定した社交時間需要
ホミニン種の予測社交時間需要に4つの解剖学的証拠のデータを重ねて表示した
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図7-3
社交時間需要が20%の壁をはじめて完全に突破するときに、音声制御を示す解剖学的証拠が出現するらしい点に注目
社会的絆づくりの需要に応えるのが最も難しいのはこの時期
霊長類で1日の20%以上の時間を社交に費やす種は一つもないからだ
したがって、音声制御にかかわる解剖学がこの時期に変化したとしても驚くにはあたらない
ここに示した解剖学的データは、旧人と現生人類が複雑な発声を可能にする音声制御能力をもっていたことを示すにすぎない
歌は発話と全く同じ発声器官を用い、同じ音声制御を必要とする 歌に必ず言語が必要なわけでもない
もちろん高度な音声制御やより複雑な音声のレパートリーは言語進化の重要な前駆体なので、集団規模が増えるにつれ、より複雑な音声のレパートリーがホミニン進化史のきわめて初期に出現した可能性は高い
事実、集団規模が増すにつれて、まさにこうした類のことが鳥類やサルで起きる より興味深いことに、アメリカ人人類学者のセス・ドブソンは、霊長類の顔と身振りのレパートリーが集団の規模の増大に応じて増える(このプロセスを制御する脳領域も大きくなる)ことを示し、イギリスの生物学者のカレン・マッコムとスチュアート・センプルは霊長類の鳴き声でも同じことが起きることを示した つまり、集団規模の増大に応じてコミュニケーションの複雑さを変える能力はその起源がきわめて古く、まったくヒトに特有ではないし、言語に依存するわけでもない
メンタライジングは言語に不可欠だが、それは話し手と聞き手のどちらも相手の意図を理解しようと心がけなければならないから
聞き手は二次の志向意識水準ですむかもしれないが、話してはおそらく三次の志向意識水準を必要とする しかも、これは二人が別の第三者の話をする前の話
言語にとって重要な2番目は、メンタライジングの再帰構造が、文章の文法構造にある入れ子状態に不思議なほど似通っている点
どちらも限界は五次
現代人が操る言語の意味は、五次の志向意識水準を持っていなければ対処できない
これに基づけば、図2-4の方程式を用いて、化石ホミニンのメンタライジング能力を推定することができるが、それはもちろん彼らが大型類人猿と現生人類のあいだをつなぐ存在だからだ
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図7-4
アウストラロピテクス類は、他の大型類人猿とともに二次の志向意識水準付近に一群となって分布している 初期ホモ属はすべて三次、旧人とネアンデルタール人はほぼ四次
五次の志向意識水準に達するのは、現生人類の化石種のみ
以上からネアンデルタール人が言語を持っていたにしても、彼らの言語はまちがいなく現生人類ほど複雑ではなかったと自信を持っていえる
言語に果たすメンタライジング能力の重要な役割に鑑みれば、二種の脳組織の差異は確かにネアンデルタール人の言語が現生人類のそれとは非常に異なっていたことを意味したはずだ
一言で言うなら、概念的にも統語的にもより原始的だっただろう
考古学者はネアンデルタール人が十分発達した言語を持っていたと考えがちだが、それは一つには彼らの狩りの手法が互いに協力したことを意味するからだ
だが、なにをもってして彼らがそのために言語をもっていたはずだというのだろう
一歩譲ってそのために言語が必要であるにしても、彼らが五次の志向意識水準の言語を必要としたという証拠がどこにあるというのだろうか
簡単な協力関係を結ぶのに三次以上の志向意識水準が必要だとは思えない
「あなたに反対側から獲物を突き刺してもらいたいと私が考えているとあなたにわかってほしいと私は思っている」
それで不十分なのは複雑な物語をして聞かせる行為だ
繁殖スタイルの変化、結核菌の役割
大きな脳はより難しい問題をはらんでいる
哺乳類では脳の発達がほぼ完了し、独りでも生きていけるようになってから子が生まれる 神経組織は一定の速度でしか成長しないので、脳を増大させたい種は妊娠期間を必要なだけ延ばして脳の成長を図るしかない これを可能にするため、霊長類など大きな脳をもつ種は出産する子の数が少ないことが多く、自分たちの系統の存続を確実にすべく寿命を延ばして十分な時間を確保する 哺乳類の標準的なパターンにしたがうなら、現生人類は本来21ヶ月にもおよぶ妊娠期間をもたねばならない
そこまでまってようやくヒトの赤ちゃんは他の霊長類が生まれる時と同じくらい脳が発達する
少なくとも真猿類のような早成の哺乳類においてはそうだ。晩成の哺乳類(齧歯動物や肉食動物の多く)は未熟な子を産み、子は機能上の発達を巣の中で完了する 残念なことに、哺乳類以外の脊椎動物史のごく初期にある偶然が起きたことから、胎児は生まれるときに骨盤の両側にある寛骨のあいだの空間を通らねばならず、この骨盤腔の大きさによってそこを通る頭の大きさが制限されるようになった この問題は二足歩行の進化によってさらに深刻になった 骨盤は内臓や体幹を支えるボウルのような形になり、骨盤入口と産道が狭まった ヒトでは、母親が成長する胎児のエネルギーコストを維持できないようになった時点で出産が起きるというのである
残念ながら、この説明は授乳によって子宮の外で子を成長させるコストが、子宮の中で同じことを行う場合の約1.7倍になることを完全に見逃している 授乳は延長された乳幼児期を可能にする優れた解決策だとはいえ、エネルギー使用がきわめて非効率的になる
実際にエネルギー制限があるとすれば、21ヶ月の妊娠期間を子宮内で過ごし、大きな腰の問題には別の解決法を探したほうがより効率的だっただろう
もちろん、脳が完全に発達した21ヶ月の胎児が通れるほど大きい臀部をもつように女性が進化したなら、問題は簡単に解決できるはずだった
自然淘汰によってこれを実現するのはわけもなかっただろう 現に、ゾウは同じように長い妊娠期間をもつよう進化している ところがホモ属は超特大の脳を進化させる以前に遊動性の生活スタイルに適応していた 幅1メートルを超えるような尻は歩くのに不便だし、走るに至っては論外だ
私達の祖先がたどり着いた妥協案は、胎児が独立して生きられる最低限度まで妊娠期間を短縮し、子宮外に出てから脳の成長を完了するというもの
類人猿とサルの赤ちゃんは生後数時間もすれば独りでよちよち歩きできるが、ヒトの赤ちゃんは生後12ヶ月ほどでようやくこの段階に達する ヒトの赤ちゃんが早産で生まれる(少なくとも妊娠約7ヶ月前で生まれる)と危険にさらされる
努力の甲斐もなく、現生人類の出産はどのサルや類人猿に比べても遥かに難しく、涙ぐましい解決策が必要だった 母親の骨盤の両側にある寛骨をつなぐ軟骨が柔らかくなり、赤ちゃんがそこを通るときに骨盤が開くようになった 女性が出産後に以前の体形に完全に戻りきらないのはこのためだ
その上、赤ちゃんの頭蓋を構成する骨のあいだには出生時には隙間がある これらの骨は約5~7歳で脳の発育が止まってからくっつくので、頭蓋骨はそれまで硬くない 産道の圧力を受けると、これらの骨は縁部がわずかずつ重なり合い、赤ちゃんの頭が産道を抜けるのを助ける
乳幼児期の長期化をともなうこの繁殖スタイルの変化は、ホミニン進化のかなり後期に起きたことはわかっている
化石頭蓋骨にある歯のエナメル質に刻まれた周波条を数えれば、子どもが何年かけて成長したかがわかる 各層はおよそ1週間分の成長に対応し、顕微鏡で観察できる歯根の表面上に一連の線(レチウス条)として現れる この年齢で身長は既に150cmあった
現生人類の子どもはさらに何年も経たないと、この発達期には到達しない
つまるところ、未熟な状態で生後の発達期間が長いというヒトの成長パターンが、旧人(ホモ・ハイデルベルゲンシス)の出現よりかなり前に起きたということはありそうもない ハイデルベルグ人の脳は産道をほぼ問題なく通り抜けられる程小さかった可能性がある
ネアンデルタール人の場合は、絶滅するまでは彼らの脳は私達と同じくらいに大きく、産科ジレンマを経験しただろう
要するに、ヒトのような短い妊娠期間への転換は、ネアンデルタール人と現生人類系統で独立して進化したか、両方の共通祖先で進化したのかもしれない
これより早期ではないことだけは確かだ
きわめて長い乳幼児期は、現生人類系統で進化したらしい ネアンデルタール人の周波条を調べる最近の研究によって、彼らは生後に現生人類よりかなり早く発達し、思春期や成人に至るのが数年早かったことがわかった
霊長類では、視覚系をのぞく新皮質容量の最適な指標は社会化期間の長さ(離乳から思春期までの時間)だが、このことはいったん脳の成長が終わっても、新皮質が大きければ不釣り合いなほど長い社会化期間が必要なことを意味する ネアンデルタール人は現生人類に比べて小さな前頭葉と側頭葉をもち、社会行動はさほど複雑ではないので、彼らが短い社会化期間ですませられるのも納得がいく このことは高度な文化を作り上げる能力に深刻な影響をもたらしたと思われるが、それは社会行動を学習する期間がかなり短かったからだ
大きな脳の維持は多くを要求するので、私達は結核菌という外部の侵入者の力を借りたという興味深い可能性がある 結核は恐ろしい病気と考えられているが、結核菌を保有する人のうち症状が出るのはほんの5%にすぎず、死亡するのはそのごく一部にすぎない 他の共生体の多くと同じく、極端な条件下では病原体となる
ここで大切なのは、ビタミンB3はおもに肉からしか摂取できないので、私達の食性に肉が重要な役目を果たすようになってからは、このビタミンの補助的な供給源があれば望ましかったはずだということ
採集とちがって狩猟はたえず危険と隣り合わせなので、肉が入手できるか否かは常に予測不能
とりわけ穀物はビタミンB3をほとんど含まないので、定住農耕に転換したあとはいつでも入手できる別の供給源が必須になったと思われる
ヒトは約8000年前に家畜となったウシから結核菌に感染したとかつては考えられていた しかし、現在では遺伝学的証拠によって、ヒトの結核菌とウシのそれはまったく異なる菌株で、ヒトの結核菌の起源は少なくとも7万年前までさかのぼることが判明している
ということは、その出現は約10万年前に始まった解剖学的現生人類の脳が急激に増大した時期に近い
なにがネアンデルタール人と現生人類の運命を分けたのか
ネアンデルタール人はおよそ2万8000年前(化石が残っている最後の年代)に姿を消した
人類進化史の他のどの出来事と比べても、この特異な出来事には様々な説明が与えられてきた
これが起きたのは約4万年前なので、解剖学的現生人類がヨーロッパに到達する前かもしれず、それからさらに約1万年後のネアンデルタール人の絶滅にいたっては問題にもならない
タイミングを考慮するなら、解剖学的現生人類をロシアのステップ地帯からヨーロッパへと西に移動させたのはこれらの噴火だったとも考えられる
氷床(または火山の噴火)の前進が大型獣を南方に追いやり、ネアンデルタール人が追いきれなくなって獲物がいなくなった 現生人類との生態学的競争に敗れた
個体群が余りに小規模で散在していたため、文化的イノベーションを起こし維持することができなくなった
現生人類との交配によってその個体群に吸収されてしまった
現生人類に意図的に皆殺しにされた
当時の現生人類と同じく、ネアンデルタール人は前進する氷床によって南へ追われたが、ピーク時にはヨーロッパ南部の孤立した地帯に繰り返し追い込まれた
保全生物学のアリー効果とよばれる標準的な知見によれば、ある種がこうして孤絶された土地に追い込まれると、別の場所から合流してくる集団もなく、個体数が減って孤立した集団はやがてランダムに局所的絶滅を起こす この現象はネアンデルタール人の共同体が小さいことでさらに顕著になっただろう
もし対処する要因がただひとつなら、ネアンデルタール人は存続できたかもしれなかった
あらゆる要因が束になって彼らに襲いかかった
また現生人類との遭遇によって、免疫を持たない新種の病原体にさらされたことも事を悪くしただろう
ほぼ3万年後、アメリカ先住民の多くが、ヨーロッパからの移住者が旧世界から持ち込んだ比較的無害な病気によって死に絶えた例に似ている
ここでネアンデルタール人の物質文化にかかわる難問がある 最近、ネアンデルタール人の物質文化が現生人類のそれに匹敵する、あるいは絶滅する前に少なくともその方向に進んでいた形跡があるという主張が何度もなされている
おそらく問題の1つは、ネアンデルタール人が現生人類に匹敵するほど大きな脳でなにをしていたのかを説明する必要に駆られたこと
後期旧石器時代の文化的爆発を起こしたのは、解剖学的現生人類がもっていた大きな脳だったという理にかなった仮定があればなおさら しかし、彼らの「機能的な」脳は現生人類ほど大きくはなかった
というのも、その少なからぬ部分が視覚処理に割かれていたからだ
認知的にはネアンデルタール人は旧人と変わらず、したがって説明すべきことはなにもない
しかし正直なところ、それは同等の水準だったとは言えない
ネアンデルタール人の道具は当時の現生人類の物質文化を特徴づける多様性、創造性、繊細さに欠けている 彼らの道具は総じて機能一辺倒で、はるか後世の解剖学的現生人類の芸術作品に見られる遊び心がない
メンタライジング能力の違いを考えれば、これもまったく無理からぬ話で、志向意識水準が一次元低いために、彼らは岩石や大理石から形を削り出したり、新たな技術を生み出したりする能力に欠けていた
となれば、一つの可能性は、解剖学的現代人が気候ストレスの条件下でネアンデルタール人がたどった運命を避けられたのは、おもにより大きく機能的な脳のおかげでより大きな交易ネットワークを持つとともに、文化的により創造的だったからかもしれない
第6章でネアンデルタール人の共同体規模が同時代の現生人類のそれよりかなり小さかったのみならず、交易したり原材料を交換したりした距離が一桁小さかったと指摘した
ネアンデルタール人の発掘遺跡で見つかった道具では、原材料の70%の移動距離は25キロメートル未満だったが、同時代の現生人類の発掘遺跡で発見されたものでは60%が25キロメートルを超え、200キロメートルに達するものすらあった
より広い地理的地域をカバーする大規模な社会ネットワークがあることによって、現生人類はネアンデルタール人には手の届かなかった友人の助けを借りることができ、局所的絶滅を免れたのかもしれない
また現生人類がアフリカを旅立つ前にすでにネットワークの外側の二層(500, 1500)を追加していたならば(その可能性が高い)、二種間の差異は相当大きかっただろう
現生人類とネアンデルタール人の脳組織の違いは、メンタライジング能力とはまったく別のところで文化の複雑さに影響を与えたかもしれない
霊長類では、行動の結末を未来に投影し、前もって計画する能力は、メンタライジングにかかわるのと同じ脳領域によって決まる
類人猿から現生人類への進化の過程を通して、どんどんその起きさを増していったのはこの前頭前野だった 相対的に見れば、ヒトの前頭葉は他の猿や類人猿より大きいわけではないという主張がなされてきた しかし、回帰直線は両対数グラフ上にあって傾きが約1.2なので、このことは脳が大きくなるにつれて前頭葉も相対的に大きくなり、その増加が指数関数的であることを意味する
いずれにしても、ニューロン数を決めるのは相対的な脳容量ではなく、絶対的な脳容量なので、たとえ傾きが1であっても状況は変わらない
ヒトはそれでもサルや類人猿よりも絶対的に大きな前頭葉を持つからだ
より小さな前頭前野をもつネアンデルタール人は計画能力が低かったと思われる
そしてこのことはある状況に対する反応を抑制する能力は言うまでもなく、道具その他をデザインする能力や、自分たちの行動が未来にもたらす結果を予測する能力にも影響を与えたのではないか
現生人類にとってほぼ間違いなく重要だったと思われる文化上の適応に衣服がある ネアンデルタール人が生活した場所は、つねに同時期の現生人類より南にあったが、彼らは体が寒冷な気候に適応していたので、現生人類より温かくない衣服でもやっていけただろう
彼らは当時の現生人類よりずっと寒さに適応していたし、現存の現生人類と比べてもそうだったはずだ
両種がたどった運命の差は、縫い合わせた衣服(手足を隙間なく覆って暖かく保った)と、ただ体に巻いただけの衣服の違いを反映するのではないのだろうか?
約3万年前から現生人類の発掘遺跡から穴の空いた針(たいてい骨でできている)がヨーロッパで見つかるようになるのは偶然とは思えない
実際、現生人類は穴をうがつ道具を作って久しい
少なくとも10万年前から、彼らはアフリカ南部でネックレスをつくるために貝殻に穴をあける錐を使っていた
ネアンデルタール人が細やかな仕事をするためにこの種の道具を持っていたという証拠はない
これは二種の間で、メンタライジング能力に差異があることを反映しているに違いない
モスクワのすぐ北東を流れるヴォルガ川の上流にあるスンギールで、子ども二人が頭同士を突き合わせるように葬られている比翼塚が発見され、約2万2000年前にさかのぼることがわかった この墓で目を引くのは、穴の空いた大量のビーズが見つかったことで、これらのビーズは穴を開けて形を整えるのに途方も無い労力を要したはずだった
一方の子どものほうには4903個のビーズが見つかり、おそらく体をピッタリ覆っていた衣服につけられていたらしい
少年の胴のあたりには、穴が開けられてベルトの一部になっていたと思われるホッキョクギツネの歯が250個あり、首のあたりには外套のようなものを留めたらしい象牙のピンがあった 現生人類はこれより前に相当長い間衣服を使ってきたと考えられた
象牙、骨、琥珀、貝殻、石でできたビーズやボタンが、約3万5000年前からヨーロッパの後期旧石器時代の遺跡から見つかっていて、アフリカではさらにずっと古くさかのぼるらしい
衣服に関するやや驚くべき証拠は分子遺伝学によってもたらされた これらの亜種は体の異なる部分に住みつくため、交配しない
一方は頭髪に、もう一方は衣服(胴体)につく
後者は隠れ場所となる衣服がないと生きていけないので、このシラミはヒトがつねに衣服を着るようになってから進化したようだ
これら二種のシラミのmtDNAを世界中の12ヶ所から集めて調べたところ、ヒトジラミはアタマジラミから進化し、これら2つの亜種は約10万年前にさかのぼる共通祖先をもつことがわかった つまり、約10万年前に、ヒトは衣服を日常的に身につけるようになった
重要なのは、これが解剖学的現生人類がアフリカを最初に出て、ユーラシアに移動する前だったということ
つまり、現生人類が四万年前にヨーロッパに到達した時、彼らはすでに数万年前にアフリカで発達した、体にピッタリ合う衣服を着ていた
それはまた脳の増大の最終段階とも合致する
それにしても、どうしても消えないのは、ネアンデルタール人が絶滅したのは解剖学的現生人類に皆殺しにされたからか、という問い
ネアンデルタール人の骨格に残された多数の傷跡は、少なくとも一部については不注意な狩りで負ったものではないだろう
サン・セゼールで発見された、3万6000年前にさかのぼるネアンデルタール人の若者の傷を入念に調べたところ、その一部は鋭い道具によるもので、おそらくは何者かに暴力を振るわれた結果と考えられた この争いが同種同士だったか、解剖学的現生人類との間で起きたのかは永遠の謎
現生人類がネアンデルタール人と交雑した可能性は、メディアでも学術界でも注目を浴びてきた
最初の主張は、イベリア半島南端のジブラルタルで発見された解剖学的現生人類の子供が、ネアンデルタール人と現生人類双方の頭蓋形質を持っているらしいことに基づいていた
しかし実際には、きわめて若い個体から得られた証拠に基づく主張は憶測の域を出ない
本格的な証拠はヨーロッパ人がネアンデルタール人とDNAの2~4%を共有する(現代のアフリカ人とは共有しない)という発見だった
さらに興味をかきたてるのは、極東で解剖学的現生人類とデニソワ人が交雑したという主張 もちろん、どちらの場合も交雑が日常的に行われていた事を示すものではない
現に、それは同じ生息地で生活し、同様の淘汰圧にさらされた場合に起きる遺伝的収斂を反映するにすぎないという人もいる もちろん、ヒトが旧人と交雑したという事実は、互いの集団から友好的に花嫁を迎えたことを意味しない
歴史を見れば、新天地に現れた現生人類は先行人類から女性を盗む傾向にある
こうした事実は繰り返し起きたことがわかっているが(とりわけ南北アメリカ大陸とインド)、昔から起きていたことを示す十分な遺伝学的証拠がある
たとえば、イギリス南部では、女性は主としてケルト人のmtDNAをもつが、男性のY染色体は東部のアングロサクソン人が大陸方面から侵略し、男性の侵略者が地元の女性を奪い、何らかの方法で地元の男性が子をもうけるのを阻止したことを示唆する 同様の事態はアイスランドでも起きている
アイスランド人男性の80%のY染色体がスカンディナヴィア人由来であるのに対して、女性の場合は63%がケルト人に由来する おそらく女性はヴァイキングの男性がアイスランドに向かう途中でたぶん力づくで連れ去られたのだろう
初期にアイスランドに移住した人の多くは、スカンディナヴィアやイングランドから追放された者だったので、女連れではなかっただろう
遺伝学的な証拠を見れば、途中で寄り道をして女性を連れ去る行為が横行していたようだ
同様に、アジアとヨーロッパ東端の男性全体の7%でY染色体はモンゴル人に由来し、これは13世紀に驚くほど短期間しか続かなかったモンゴルの襲来時に、チンギス・ハンとその一族の男性によってもたらされたものと思われる 歴史的記録から何が起きたかは詳細にわかっている
抵抗する町を制圧すると、モンゴル人は男性を皆殺しにし、遠回しに言えば女性を一時的にモンゴルの仲間に組み入れた
言い換えれば、歴史に見られる人間行動にもとづくなら、現生人類のゲノムに含まれるわずかなネアンデルタール人のDNAは、配偶者のいない解剖学的現生人類男性による一種の略奪行為を反映するのだろう
もしネアンデルタール人やデニソワ人が絶滅するときにほんとうに旧人と現生人類のあいだに交雑があったのなら、おそらくそれは旧人が進んでそうしたわけではなかっただろうし、彼らも何らかの抵抗をしたはずだ
そうであれば、領主の間亜で共同体の規模がやや異なることが決定的な役割を果たしたのではないか
おそらく現生人類はいざとなれば、結束の固い共同体の男性多数に頼ることができたと思われる
さらに旧人に比べて遥かに広い地域から仲間を呼び寄せられたのだろう